プラザ合意からルーブル合意へ

プラザ合意とは?

プラザ合意というのは、
1985年9月22日に、
ニューヨークのプラザ・ホテルで開催された

 

G5※蔵相会議における
過度のドル高を是正するための合意のことです。

 

※米国、英国、西ドイツ、フランス、日本

プラザ合意の影響は?

プラザ合意の声明と、
それに続いて行われた、

 

主に日本、米国、西ドイツの
3国の通貨当局による協調介入は、
史上最も顕著な成功を収めた例の1つといわれています。

 

なお、声明当時1ドル=240円台だった円相場は、
以後上昇傾向をたどり、
1987年2月には150円台に到達しました。

プラザ合意からルーブル合意へ

プラザ合意により、
当時1ドル=240円台だった円相場は、
以後上昇傾向をたどり、
1987年2月には150円台に到達しました。

 

しかしながら、今度は逆に
円高ドル安の行き過ぎが懸念され始めました。

 

このため、1987年2月22日、
パリのルーブル宮殿に集まったG7(G5+カナダ+イタリア)は、
ルーブル合意※を発し、
日米両国が協調介入を行いましたが、

 

この時には日米間の貿易収支不均衡が
一向に改善されないという背景があり、
ドル安の進行は1987年まで続きました。

 

※「為替レートを当面の水準の周辺に安定させる」旨の声明のことです。

 

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